2013年10月26日土曜日

娘の反応に感謝!

 私から娘に問いかけをし、その返答を聞いた途端、ギクリッ、と感じた。これまで、もっと前向きで彼女自身の成長に向けた事が多かったことが、単に快楽、楽しみに変わっていた。それほど深刻なことではないかもしてないが、自分の想像していたこととのギャップはショックであった。

 なぜか?習い事や勉強でストレスを感じているのかもしれないし、もっとゆっくり自分を見つめたいと思っているかもしれない。自然と戯れ、のびのびとした時間を与えることも必要であろう。それよりむしろ、前向きになっていないことが残念である。自分は誰のように立派な人間になりたい、という心に根差した軸がずれてしまい、きっと目標が曖昧となってしまっているのだろう。

 もっと自分が立派な大人の見本になること、これが自分の忘れてサボっていることだ。自分がもっと人生に向かい前向きな考えて明るく家庭内で振る舞い、そして自己の成長に向けて努力を重ねている場面を見せていないところが、彼女にも映っているのであろう。気のいい家庭的なパパだけでは、駄目なのである。

 反省反省、だらしなくしている場合ではない。自分の行動は家族にも大きな影響を及ぼすのだ。自分の言動、行動がいかに娘の教育に貢献するか、不幸な結果をもたらすか、かかっているのだ。私生活はやはり、規則正しく、明るく、元気で、仁・義・信・知・礼を磨く場としていく。このところサボっていた道徳教育も再開である。

 この襟を正してくれた、娘の反応に感謝!

2013年10月25日金曜日

久しぶりだよ、感謝!

 しばらく本ブログには掲載していなかったが、本日、この今、この瞬間復活をした。
停止した理由として、ブログは一般公開されるため突っ込んだ内容を書くことは個人情報の取扱の観点から、躊躇したものであった。でも、やはり何か書きたくなったのだ。この思いに感謝である。

 やはり、この改めて感謝をする本行為自体が素晴らしい取組であろう。自分が気にしているほど他人はこのブログを閲覧するこは無かろう。全く以って問題ないかな。

 本日の感謝は、もっとある、口うるさい定年近い素晴らしい人が、やはり自分を買ってくれていると思えた。これまで正直、不満を感じたことは事実としてあるが、そんなものは捨ててしまう。やはり、それに代わった感謝こそ自分が選択する行為なのだ。
このことが教えることは、自分が求めているのならば、一時の不満、立腹、おそれ、卑下なのど感情に負けず耐える、耐える、我慢をして、機をまつ。そして期の到来時は勇気をもって立ち向かう。勇気をもって、嫌われても、反対されても、踏み出すこと。これだけだね。

感謝、この自分の考えにも感謝!