2017年9月14日木曜日

パワハラの本質って....

社内研修として、パワハラがテーマにして行われた。

上司が上越的地位を利用して、弱いものをいじめる、
と自分では解釈している。

研修ではビデオを見て、感想を議論するものであった。

内容は、管理職同士で部下を指導しても、自分の
思うように行かないことを愚痴り合う。

一方、社会人経験の浅い社員は、上司の悪口大会。
そして、コメンテイターが問題解決のアドバイスを語る。

ベタな内容であった。

ビデオ終了後、議論は沈黙状態。

自分も一言が出ない、なぜか???

愚痴りあっている姿を見て、気分が悪くなったのだ。

人は自分の勝手な考えと、相手の行動にギャップが
生じてストレスを感じるのであろう。

それを解消のため同類を集めて話し合う、これが愚痴。

そこには生産性が全く無い。まさに字の如く、
愚かな病気がかった知識、情報の交換なのだ。

自分は一途期足りともマイナスな事に時間と
エネルギーを消費したくない。

結局、パワハラとは部下を自分の思うように
させようとする上司の我儘な行動結果なのだ。

人ってそれぞれ立場があり、考え方が違うのは
当然であり、それを変えようと強制しても無理なのだ。

何処かに行ってしまったのか、思いやりの心、よ!!

論語の一説(衛霊公第十五23)

子貢(しこう)君が先生(孔子)に質問をした。

「一生涯を貫くことは一言でいうと何ですか?」

「それは恕(おもいやりの心)だね。自分が嫌なことは
人にしてはいかんよ」

自分も振り返ろう、思いやりの心を発揮したか?
これは一日の終わりの問かけルーティンにしよう。

パワハラ研修を通じて、ルーティーンがまたひとつ増える
ことができた。

この気づきに感謝。

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